層塔型の系譜(その4)…層塔型の3つの類型

慶長7年に上がった美濃加納城御三階と豊後日出城天守、そしてそれより少し後(慶長7年から慶長9年)に完成したと思われる伊予今治城天守*1、この3つはそれぞれ層塔型といっても様々な相違点がありました。

  • 加納城…破風を有する、腰屋根が高い、棟高が高い、逓減率が大きい
  • 日出城…破風が無い、腰屋根が低い?*2、棟高が低い、逓減率が大きい
  • 今治城…破風が無い、腰屋根が低い、棟高が高い、逓減率が小さい

この様に層塔型の初期、それもほぼ同時にそれぞれ異なる形状を有していたことが判ります。もし関ヶ原合戦後に始めて層塔型が創出されたとしても、この様に最初から様々な層塔型が出来るとは思えません。
現在では様々な形態へと進化していった哺乳類が、恐竜が滅ぶまでは彼らに圧迫されてネズミのような形態でしか無かったように、層塔型も関ヶ原前の前史があったあったはずです。

そして関ヶ原合戦の前にある築城ラッシュはある1つの分類に集約されます。
それが「倭城」です。
つづく。

*1:丹波亀山城と同じ物とする。なお、発掘調査では礎石などは確認できなかったとあるが、本項は文献の記述を優先する。

*2:これに続く小倉城より推測