2010-06-01から1ヶ月間の記事一覧

慶長度江戸城天守の考察(その6)…あまりアテにはできない絵図(大坂城編)

『中井家指図』を元和度とし、慶長度天守を望楼式とした内藤昌氏ですが、彼がその根拠としたのは『洛中洛外図』に描かれた伏見城や二条城、『江戸名所図屏風』や『武州豊島郡江戸庄図』といった絵画資料を主としています。 しかし良く『決定的』とも言われる…

慶長度江戸城天守の考察(その5)…江戸城の3つの天守

さて、宮上案によると江戸城天守は破風や瓦の葺き方、壁面などに異なる点はあるものの基本構造は同じということになります。その辺を一覧にしてみます。 慶長度天守(1607〜1622) 規模…1階平面規模(18間×16間)、5階平面規模(7間5尺×5間5尺)、7尺間(5階…

慶長度江戸城天守の考察(その4)…『中井家指図』の位置付け(元和度天守)

さて、慶長度江戸城天守が5重5階の層塔式とすると浮上するのが『中井家指図』を用いた宮上茂隆氏の復元案です。 中井家指図、宮上茂隆案 しかし『中井家指図』は内藤・三浦氏は元和度天守としています*1。 これに対して宮上氏は津軽家に伝わる『江戸御殿守絵…

慶長度江戸城天守の考察(その3)…いわゆる前期層塔式というものについて

天守・櫓の形式を説明する本では前期望楼式(例:犬山城)、後期望楼式(例:姫路城)、層塔式(例:宇和島城)で分類されています。しかし最近は用いられなくなりましたが、以前は層塔式も前期と後期に分けて論じられていた時代がありました。 内藤昌氏がよ…

慶長度江戸城天守の考察(その2)…天守の形式について

城郭の櫓は天守も含めて2重以上のものは望楼式と層塔式の2種に分類されます。 望楼式は入母屋造の上部に望楼を載せた形、層塔式は各階を規則正しく逓減させた点に特徴があります。 櫓(5重)の内部概要図 左が望楼式、右が層塔式。望楼式は3つの建築物が積み…

慶長度江戸城天守の考察(その1)…天守の重・階数について

先ず天守の外見は何重で、内部は何階であるかを考察します。これまでの史料・復元案で出されたのは史料 『慶長見聞集』 然レバ家康公興サセラルゝ江城ノ殿守ハ五重、鉛瓦ニテ葺キ給ウ。富士山ニ並ビ、雪ノ嶺ニ聳エ、夏モ雪カト見エテ面白シ。 『毛利三代実録…

慶長度江戸城天守の考察(その1)

これから先はこれまで出た史料や復元案を私の考えで考察・評価をさせていただきます。

慶長度江戸城天守の復元(追記)

今日は最初に復元案を出した後、各人がどの様な修正を行ったかをそれを記した本と共に書きます。内藤昌 慶長度天守の作事大工を中井正清のみとする(ただし、『中井家指図』を元和度天守とする方針は変わらず)。城の日本史 (NHKブックス カラー版 7)作者: …

慶長度江戸城天守の復元(三浦正幸版)

徹底図解徳川三代―覇業をなし遂げた三人の将軍 (Seibido mook)出版社/メーカー: 成美堂出版発売日: 1999/12/01メディア: ムック クリック: 21回この商品を含むブログ (2件) を見る『徹底図解 徳川三代 覇業をなし遂げた三人の将軍』より(金澤雄記作成) 史…

慶長度江戸城天守の復元(大竹正芳版)

築城―覇者と天下普請作者: 松本諒士出版社/メーカー: 理工学社発売日: 1996/01メディア: 単行本 クリック: 30回この商品を含むブログ (2件) を見る『築城―覇者と天下普請』より 『中井家文書』『愚子見記』などを引用したとする(天守台や天守自体の規模は『…

慶長度江戸城天守の復元(大竹正芳版)(三浦正幸版)

残りの2つはあまり詳しい考察が書かれていないので纏めて書きます。

慶長度江戸城天守の復元(宮上茂隆版)

次に宮上茂隆氏の復元概要を『徳川家康創建江戸城天守の復元』 建築学会大会講演梗概集 1990年(国立情報学研究所より)と、『歴史群像 名城シリーズ7 江戸城』を用いて説明します。江戸城―四海をしろしめす天下の府城 (歴史群像 名城シリーズ 7)出版社/メー…

慶長度江戸城天守の復元(内藤昌版)

先ず最初に復元案を発表した内藤昌氏の復元案概要を『江戸図屏風 別冊 江戸の都市と建築』より記述します。江戸図屏風 (1972年)作者: 諏訪春雄,内藤昌出版社/メーカー: 毎日新聞社発売日: 1972メディア: ? クリック: 49回この商品を含むブログ (2件) を見る …

慶長度江戸城天守を復元した人たち

今回からは慶長度江戸城天守の復元案について書いてみます。先ず、最初にこれまで復元案を発表した人たちを発表順に紹介することにします*1。 内藤昌 履歴:1932年生まれ。工学博士。東京工業大学大学院建築学専攻博士課程修了。名古屋工業大学・東京工業大…

慶長度江戸城天守の史料(その10)

そろそろ慶長度江戸城天守の史料も残り少なくなってきました。最後には別の天守の史料との評価が定まっていないもの、重複するものなどを挙げていきます。先ず評価が定まっていないものとして中井家蔵の『江戸御天守』図、京都大学蔵の無題図です。 左が『江…

慶長度江戸城天守の史料(その9)

さて昨日の続きですが、下にあげる画像は寛永17年(1640年)の江戸城本丸の図面です。 (『江戸図屏風 別冊 江戸の都市と建築』内藤昌 毎日新聞社 1972)この画像から昨日の『慶長江戸絵図』内の天守曲輪にあたる場所を、石垣の張り出しラインから抜き出した…

慶長度江戸城天守の史料(その8)

文字史料は大体終わったので、図面などを紹介します。 慶長年間の江戸を描いたものとして慶長13年(1608年)頃のとされる『慶長江戸絵図』があります。 慶長江戸絵図(東京都立中央図書館特別文庫室)これの本城(本丸周辺や西丸)を拡大したのが次の画像で…

慶長度江戸城天守の史料(その7)

昨日に続いて『愚子見記』の内容を書きます。もっともそれ程、優位な情報があるわけではないですが、関連する部分を丸ごと書いてみます。愚子見記 一、 御殿守当御代中井大和守指図覚 権現様御代 一、伏見御殿守 慶長六立、寛文十一迄七十一。 二、二条御殿…

慶長度江戸城天守の史料(その6)

さて天守の作事を務めた中井正清、その中井家配下の大工である平政隆という人物が法隆寺に遺した『愚子見記』という書物があります。この書物には様々な建築の内容が記述されており、その中には中井家が手がけた天守も多く取り上げています。それなりに分量…

慶長度江戸城天守の史料(その5)

城郭は2種類の工程を経て完成します。 1つは石垣や土塁の築造や曲輪の形状や配置を決める「普請」、もう1つはその上に櫓・塀・門そして御殿などを建設する「作事」です。 慶長度江戸城天守も同様の過程を経て、建築されました。天守台という「普請」は既に説…

慶長度江戸城天守の史料(その4)

ここからは新規で行きますさて、『慶長見聞集』では慶長度江戸城天守が五重であったとありましたが、他の史料にも天守の重数について説明しているものがありますので、ここで説明をします。(参考:慶長度江戸城天守の史料(その2) - 立板の書き込み)毛利三…

慶長度江戸城天守の史料(その3) (転載分)

徳川家康の史料集『朝野旧聞裒藁』に記載されている、慶長度の江戸城修築記録『御手伝覚書』より 朝野旧聞裒藁 御手伝覚書 御手伝覚書載 慶長十一年御城御普請之前御天守台築御手伝 黒田筑前守 御手伝覚書曰 慶長十二未年江戸御城御天守台并錫御門之縄張被二…

慶長度江戸城天守の史料(その2)

慶長見聞集 然レバ家康公興サセラルゝ江城ノ殿守ハ五重、鉛瓦ニテ葺キ給ウ。富士山ニ並ビ、雪ノ嶺ニ聳エ、夏モ雪カト見エテ面白シ。 殿守ハ雲井ニソビエオビタゞシク、ナマリカワラヲフキ給ヘバ、雪山ノ如シ……海上ヨリ、此レヲ目カケ一舟ヲ乗…… 日本中ヨリ大…

慶長度江戸城天守の史料(その1)

慶長度江戸城天守を知るには先ずそれについて知ることが大切です。 最初はそれについての史料を順次、書くことにします。 当代記 慶長十二年三月三日 此日ヨリ江戸普請有、関東衆務之、先一万石役ニ、クリ石二十坪也、船ヲ以可有運送トテ、一万石分五艘宛カ…

江戸城について(転載分)

最初に今、あれこれと調べている江戸城天守、その概要を説明いたします 江戸城は皆さんも御存知の通り、今の東京中心部、皇居に当たる場所にあった城郭でした。 鎌倉時代の江戸氏居館から始まると言われますが、本格的に城を築いたのは関東で室町から戦国に…

移動しました

http://blogs.yahoo.co.jp/hideitoh2002 こちらがどうにも検索に乗らないので、こちらに乗り換えしましたので、以後宜しくお願いします。 取り敢えず戦国時代や軍事を趣味にしていますので、そこら辺を徒然と書いてみようかなと思います。