慶長度江戸城天守の復元(内藤昌版)
先ず最初に復元案を発表した内藤昌氏の復元案概要を『江戸図屏風 別冊 江戸の都市と建築』より記述します。
- 作者: 諏訪春雄,内藤昌
- 出版社/メーカー: 毎日新聞社
- 発売日: 1972
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- 天守構造はそれ以前、以後に造営した二条城・伏見城、駿府城天守より後期望楼型とする。二条城・伏見城天守は『洛中洛外図屏風』より、駿府城天守は「城戸久 『駿府城慶長造営天守建築考』 名古屋高等工業学校学術報告五号昭和十四年刊所収」よりの絵図を基としている。また前者には絵図より、後者は『駿府記』に駿府城天守が雨漏りをし、それを名古屋城で是正したという記述より両者に廻縁があったとしており、内藤氏は江戸城天守にも廻縁があったと考えていたと思われる。
『洛中洛外図屏風』勝興寺本より家康造営二条城天守
『洛中洛外図屏風』薮本家本より家康造営伏見城天守
- 外見は『慶長見聞集』より5重、内部は『毛利家四代実録考証』より地階1階を含めて7階としている。これは城戸氏の論文にある駿府城天守と同様の階層としている。また『日本西教史』の9重は西洋の宣教師が望楼型の複雑な形状を把握できるが疑問としている。
- 『慶長江戸絵図』より西側二重曲輪・小天守による姫路城と良く似た連郭式の天守曲輪を構成していたとし、『当代記』の記述より天守曲輪の石垣高さ8間、天守台は20間四方で高さ10間(1間=6尺5寸)であったとしています。
上記本より江戸城本丸概要
- 作事大工は徳川譜代大工の木原吉次らに加えて、京大工の中井正清としている。
上記本には復元図は載っていませんが、後に中西立太氏が内藤氏の案を基に『江戸城と大奥』に復元図を描いています。
- 作者: 中西立太
- 出版社/メーカー: 学研プラス
- 発売日: 1988/12
- メディア: 大型本
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『江戸城と大奥』より
ちなみに内藤氏は中井家蔵の断面構造の指図と京大蔵の平面図の指図を同一とし、これを寛永初期とする『江戸名所図屏風』『武州豊島郡江戸庄図』に描かれた天守の絵図より元和度天守としています。
これについての疑問などはまた次に記述をします。