層塔型の系譜(その6)…層塔型の天守化

それまで簡易構造の隅櫓にのみ用いられてきた層塔型ですが、先述したように関ヶ原合戦直後より天守にも用いられ始めました。

これは

  • 関ヶ原以降の大量築城ブームによる、建築の合理化に天守も巻き込まれた。
  • これまでの望楼型とは異なる形式にして、人心に時代の移り変わりを認識させた。

といった理由が考えられます。

しかしこの時にそのまま層塔型を天守にすることは躊躇われた様で、その先頭に立った3つの天守加納城・日出城・今治城先に述べたそれぞれの特徴を有しました。これについて、

  • 加納城岐阜城天守の望楼型の特徴である破風や高い棟高、大きい逓減率を多く受け継いでいる。
  • 日出城は大きい逓減率は望楼型の、破風の無い点や低い棟高はそれ以前の層塔型の特徴を受け継いでいる。
  • 今治城は高い棟高や最上階の破風・欄干に望楼型の、小さい逓減率や最上階以外の破風が無い点は層塔型の特徴を有している。

となっており、それぞれ層塔型を基本構造としつつも、そこに旧来の天守であった望楼型の特徴を取り入れています。

これら3つ形式から始まった層塔型の天守はそれぞれ新たな意匠を取り入れることで、発展や衰退の道を辿ります。これについては次回ということで。