慶長度江戸城天守の考察(その2)…天守の形式について

城郭の櫓は天守も含めて2重以上のものは望楼式と層塔式の2種に分類されます。
望楼式は入母屋造の上部に望楼を載せた形、層塔式は各階を規則正しく逓減させた点に特徴があります。

櫓(5重)の内部概要図 左が望楼式、右が層塔式。望楼式は3つの建築物が積み重なった複雑な形であるのに対し、層塔式がシンプルな構造であるのが見て取れる。

さて慶長度江戸城天守が望楼式か層塔式かについては宮上氏のみが層塔式、他の内藤・大竹・三浦氏は後期望楼式(逓減率が少ない点が特徴)としています。前者は『中井家指図』を、また後者では内藤氏のみが理由を説明しており慶長度江戸城天守の前後に造営した二条城*1伏見城*2駿府城天守*3より後期望楼式としています。

両者の根拠である『中井家指図』と図屏風についてはまた後々、として*4、では他の史料でそれを窺い知ることができるものは無いでしょうか。
実は『愚子見記』にそれがありました。

 一、江戸御殿守 七尺間、十八間・十六間 物見、七間五尺・五間五尺
   高石ヨリ棟迄二十二間半、是権現様御好也
 一、尾張御殿守 七尺間、十七間・十五間 物見、八間・六間
   下重側ノ柱ヲ二重目迄立上ル故、物見大キ也
 一、大坂御殿守 七尺間、十七間・十五間 物見、四間五尺・二間五尺
 一、二条御天守 七尺間、十間・九間 物見、四間・三間

この内、尾張名古屋城天守の項で「1重目と2重目の平面規模が同じなので5重目が大きくなった」とあり、これは実際の名古屋城でも確認できます。この説明は直ぐ上にある江戸城天守と比較しての文言であることは容易に想像できます。
つまり、江戸城天守は全ての階が逓減していると言うことになります。
望楼式天守の特徴の1つには2つの重階における平面規模が同じと言う点があります。犬山城岡山城広島城・姫路城・松江城の1・2重目がその典型的な例と言えます*5

名古屋城天守

姫路城天守

松江城天守
ただし、彦根城や萩城のように全ての重階が逓減する例も皆無ではありません。しかし前者は4重5階という大津城天守の移築・転用、後者は1重目が石垣より張出すという特殊な構造であることを認識しなければなりません*6

彦根城天守

萩城天守

また、建築の簡便さと言う点でも層塔式は優位にあると言えます。望楼式は入母屋造の為に大屋根を架ける必要があります。しかしこれは工程的にも、また重量的にも大きな問題になることは火を見るより明らかです。その点、層塔式は基本的に同じ構造の建築物を積み重ねるだけですみます。それは上の図を見ても判ると思います。
何しろ慶長度江戸城天守は史上最大の天守である寛永天守と殆ど変わらない大きさ(5重目の規模と棟高が5尺短い程度)です。私としては建築的合理性という意味でも、慶長度江戸城天守は層塔式と結論付けます

さて、そこで注目するのは宮上案の『中井家指図』ですがこれについてはまた後ほど…。
なお、本日の天守の写真は全てwikipediaよりお借りしました。

*1:洛中洛外図屏風』勝興寺本

*2:洛中洛外図屏風』薮本家本

*3:城戸久 『駿府城慶長造営天守建築考』 名古屋高等工業学校学術報告五号昭和十四年刊

*4:駿府城天守の形式は史料不足により、結論を出すのは難しい

*5:ただし姫路城は西側が逓減している

*6:特に萩城は張出し部を除けは1・2重は同じ平面規模になります。