史料

元和度江戸城天守の史料(その7)…鈴木長次と中井正侶の関係

今日は鈴木長次と中井正侶の両者の関係を『大工頭 中井家文書』より読んでみます。大工頭中井家文書作者: 高橋正彦出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会メディア: 単行本 クリック: 9回この商品を含むブログ (1件) を見る徳川大坂城作事について [二三五]…

元和度江戸城天守の史料(その6)…中井家と木原・鈴木家の大工手間賃

以前、 http://d.hatena.ne.jp/tateita/20100607/1275875703 で『愚子見記』の記述より中井家の大工作料(手間賃)が元和度工事で引き下げられたと書きましたが、これを補強する文書が中井家文書にあります。中井家大工支配の研究作者: 谷直樹出版社/メーカ…

元和度江戸城天守の史料(その5)…材木調達の流れ

今日はこれまでの材木調達の流れを時系列順に説明します(石は割愛)。 元和4年 5月1日…毛利家に来年に江戸城天守工事が行われるとの評説が届く(以降、石の調達が行われる)。佐竹家家老、梅津政景が富士山中に天守用の材木を得ることを細井勝吉に求める。 …

元和度江戸城天守作事の史料(その4)…指図の提出

中井家は多くの指図を有しており、それらは現在『大工頭中井家建築指図集』で見ることができます。大工頭中井家建築指図集―中井家所蔵本作者: 谷直樹出版社/メーカー: 思文閣出版発売日: 2003/02メディア: 単行本 クリック: 43回この商品を含むブログ (2件) …

元和度江戸城天守作事の史料(その3)…その他、材木調達について

今日は前回に記した以外の元和度工事に関わる材木調達を俯瞰してみます。薩摩旧記増補 別帋之御状致拝見候、仍而御殿守あせり板三千枚進上之由、奉得其意候則御材木奉行衆ヘ具申渡候、當地参著次第、追々請取可申由、恐惶謹言、 青山伯耆守 元和五年(朱カキ…

元和度江戸城天守作事の史料(その2)…鈴木家の史料

http://d.hatena.ne.jp/tateita/20100716/1279249998 において『中井家支配棟梁由緒書』に「元和 5(1619) 江戸城天守用木伐出」という記述がありましたが、それを否定する可能性のある史料があります。 それは尾張藩附家老竹腰家に伝わる文書で、その内に…

元和度江戸城天守作事の史料(その1)…中井家の史料

続いて元和度江戸城天守作事(建築)の史料を解説します。先ず、中井家において天守作事を行ったとする史料をあげます。愚子見記(1682年) 一、御殿守当御代中井大和守指図覚 権現様御代 一、伏見御殿守 慶長六立、寛文十一迄七十一。 二、二条御殿守 同七…

慶長度江戸城天守の史料(その10)

そろそろ慶長度江戸城天守の史料も残り少なくなってきました。最後には別の天守の史料との評価が定まっていないもの、重複するものなどを挙げていきます。先ず評価が定まっていないものとして中井家蔵の『江戸御天守』図、京都大学蔵の無題図です。 左が『江…

慶長度江戸城天守の史料(その9)

さて昨日の続きですが、下にあげる画像は寛永17年(1640年)の江戸城本丸の図面です。 (『江戸図屏風 別冊 江戸の都市と建築』内藤昌 毎日新聞社 1972)この画像から昨日の『慶長江戸絵図』内の天守曲輪にあたる場所を、石垣の張り出しラインから抜き出した…

慶長度江戸城天守の史料(その8)

文字史料は大体終わったので、図面などを紹介します。 慶長年間の江戸を描いたものとして慶長13年(1608年)頃のとされる『慶長江戸絵図』があります。 慶長江戸絵図(東京都立中央図書館特別文庫室)これの本城(本丸周辺や西丸)を拡大したのが次の画像で…

慶長度江戸城天守の史料(その7)

昨日に続いて『愚子見記』の内容を書きます。もっともそれ程、優位な情報があるわけではないですが、関連する部分を丸ごと書いてみます。愚子見記 一、 御殿守当御代中井大和守指図覚 権現様御代 一、伏見御殿守 慶長六立、寛文十一迄七十一。 二、二条御殿…

慶長度江戸城天守の史料(その6)

さて天守の作事を務めた中井正清、その中井家配下の大工である平政隆という人物が法隆寺に遺した『愚子見記』という書物があります。この書物には様々な建築の内容が記述されており、その中には中井家が手がけた天守も多く取り上げています。それなりに分量…

慶長度江戸城天守の史料(その5)

城郭は2種類の工程を経て完成します。 1つは石垣や土塁の築造や曲輪の形状や配置を決める「普請」、もう1つはその上に櫓・塀・門そして御殿などを建設する「作事」です。 慶長度江戸城天守も同様の過程を経て、建築されました。天守台という「普請」は既に説…

慶長度江戸城天守の史料(その4)

ここからは新規で行きますさて、『慶長見聞集』では慶長度江戸城天守が五重であったとありましたが、他の史料にも天守の重数について説明しているものがありますので、ここで説明をします。(参考:慶長度江戸城天守の史料(その2) - 立板の書き込み)毛利三…

慶長度江戸城天守の史料(その3) (転載分)

徳川家康の史料集『朝野旧聞裒藁』に記載されている、慶長度の江戸城修築記録『御手伝覚書』より 朝野旧聞裒藁 御手伝覚書 御手伝覚書載 慶長十一年御城御普請之前御天守台築御手伝 黒田筑前守 御手伝覚書曰 慶長十二未年江戸御城御天守台并錫御門之縄張被二…

慶長度江戸城天守の史料(その2)

慶長見聞集 然レバ家康公興サセラルゝ江城ノ殿守ハ五重、鉛瓦ニテ葺キ給ウ。富士山ニ並ビ、雪ノ嶺ニ聳エ、夏モ雪カト見エテ面白シ。 殿守ハ雲井ニソビエオビタゞシク、ナマリカワラヲフキ給ヘバ、雪山ノ如シ……海上ヨリ、此レヲ目カケ一舟ヲ乗…… 日本中ヨリ大…

慶長度江戸城天守の史料(その1)

慶長度江戸城天守を知るには先ずそれについて知ることが大切です。 最初はそれについての史料を順次、書くことにします。 当代記 慶長十二年三月三日 此日ヨリ江戸普請有、関東衆務之、先一万石役ニ、クリ石二十坪也、船ヲ以可有運送トテ、一万石分五艘宛カ…