元和度江戸城天守の史料(その6)…中井家と木原・鈴木家の大工手間賃

以前、
http://d.hatena.ne.jp/tateita/20100607/1275875703
で『愚子見記』の記述より中井家の大工作料(手間賃)が元和度工事で引き下げられたと書きましたが、これを補強する文書が中井家文書にあります。

中井家大工支配の研究

中井家大工支配の研究

そこでは、一人当たりの手間賃を木原・鈴木方は御殿は7升、門・長屋・櫓は6升5合、数寄屋は7升5合とする一方、中井方は8升であることについて中井方が高い事を問題にしています。これは慶長度の工事で設定された基準をそのまま持ち込んでいたようですが、その時は中井方の高い技術力が故の厚遇と思われます。
しかし、元和度の工事になると木原・鈴木方の能力も向上していたようで『愚子見記』に「其故ハ是 時之作事ニ、木原・鈴木方ニ工数大分仕入候ニ付、御勘定立兼ネ申故ニ、」、『中井家文書』に「御門やくら又ハ坊主部屋なとの様成御家此以前ゟ近江仕候間」とあり、『東武実録』にあるように表向は中井家、奥向は木原・鈴木家が担当していたようです。結局は中井方は手間賃を1升減らされることになってしまいました。

ただしこの時点でも中井方の技術は木原・鈴木方より上だったようで、高い技術を必要とする大屋根を組む必要がある広間を1坪当り89人、御台所は56人で完成させています(これを工数と言います)。これは中井方が大工の年齢まで考慮した選抜メンバーだった為で、これに対して木原・鈴木方は寄せ集めの為に工数が大幅に増えて、結局は彼らも工数を少なくしなければならなかったようです。つまり幕府が競争原理を用いて大工賃金の圧縮に成功したという事になります。

それはさておき、『愚子見記』にはこの工事を「元和八年、江戸御天守御作事」としていますが、書かれているのは表向の広間や台所しかありません。また『中井家文書』にも門・長屋・櫓は以前より数多く木原・鈴木方が担当しているあります。
天守は勿論、櫓の一部ですので、これまでと同じく中井家の言い分は疑問が生じることになると私は考えます。