元和度江戸城天守の史料(その5)…材木調達の流れ

今日はこれまでの材木調達の流れを時系列順に説明します(石は割愛)。

  • 元和4年
    • 5月1日…毛利家に来年に江戸城天守工事が行われるとの評説が届く(以降、石の調達が行われる)。佐竹家家老、梅津政景が富士山中に天守用の材木を得ることを細井勝吉に求める。
    • 6月28日…幕府より毛利家に天守用材木の調達が求められる。
  • 元和5年
    • 3月…山内忠義より木数千(もしくは千)と石が献上される。
    • 9月8・9日…幕閣青山忠俊・酒井忠利より島津家久へ、島津家より献上された天守の壁板三千枚が届いた旨を知らせる。
    • 同年…中井家天守用材木を伐り出す。
  • 元和6年
    • 2月11日…元和度江戸城工事始まる。
    • 閏12月5日…梅津政景に来年の天守・御殿建築中止の評説が届く。
    • 同年…相馬利胤、大手門の材木を献じる。
  • 元和7年
    • 4月2日…木曽代官山村良勝、御用板(寸法指定)520枚を急ぎ伐り出すように命じる(年については疑問あり)。
    • 6月18日…幕府、来年に本丸天守台等の石塁普請を加藤忠広・野長晟等に命じ、この日に長晟は普請奉行と人数を江戸に送る旨を、蒲生忠郷に送り、併せて江戸に於ける斡旋を依頼する。
    • 7月10日…中井家、江戸に城郭や御所等の指図を提出する。
    • 8月10日…鈴木長次、幕閣より命を受けて御殿用の材木檜4093本・松2409本(どちらも寸法規定)・椹板15000枚(寸法規定)を木曽に出向いて価格交渉するように命を受ける。尾張藩付家老竹腰正次・成瀬正成も助力を求められる。
    • 8月20日美濃郡代の岡田善同、天守の材木伐り出しの為に木曾に赴く。
    • 10月4日…竹腰正次が天守用材木伐り出しを山村良安に要請する。また江戸作事用材木の搬出遅延について角倉玄之に照会し、桑名に榑木(くれき、椹・檜・鹽地(しおぢ)で割りたてた屋根板)十万丁を急いで送るよう求めている。
    • 10月18日…天守用材木運搬で大坂船手等の切手を持つ者は大坂から江戸に送る際に、紀伊国の諸港に寄港する事を紀州藩家老が許す。
  • 元和8年
    • 2月18日…江戸城本丸拡張、天守台・諸口の工事始まる。ただし天守台の本格的な工事は5月後半より。
    • 2月22日…浅野長晟、幕府大工棟梁中井正侶・正次、鈴木長次と音信する。
    • 3月12日…中井家、幕府より大工手間賃について音信を受ける。
    • 4月5日…幕府、大手門・台所の用材として松20本を最乗寺より徴する。
    • 5月19日…秀忠、西丸に移る。
    • 6月3日…中井正侶、幕府より大工手間賃について音信を受ける。
    • 7月22日…浅野長晟、中井正侶配下の下棟梁と音信する。
    • 8月28日…天守台大略完成する。
    • 11月10日…秀忠、新造の本丸御殿に移る(表向中井正侶、奥向鈴木長次担当)。
    • 同年…山内忠義、木三千本を献上する。元和度天守完成か。

この内、元和7年の7月10日から10月4日*1の記述は一本線で繋がると思われます。つまり中井家から提出された指図を基に鈴木長次が設計を行ない、それを基にした用材数を幕閣に提出した上で、その調達の為に木曽へ赴いたものと思われます。その後に木曽に関わる代官・郡代・付家老との間で文書が交換されています。
元和8年の中井家と幕府の大工手間賃についてはまた後ほど。

*1:18日のは木曽の材木が大坂に廻るのは考えにくい。ただし、同時期に材木の注文が行われた可能性はある。