三浦正幸の新たな慶長度天守復元案
数日前本屋に出かけた所、こんな本があるのが目に付きました。
- 出版社/メーカー: 都市出版
- 発売日: 2010/08/03
- メディア: 雑誌
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- これまでの名古屋城を参考にした復元案でなく、宮上茂隆氏が元和度と比定した旧津軽家の『江戸御殿守絵図』を慶長度と紹介する。
- その絵図から判断すると慶長度天守は人が窓を覗くには高い場所にあり、破風の下にある出窓の部分からしか外を望めない欠陥建築である。
- 元和度はこれまでと同じ『中井家指図』を基にし、より洗練されたものになっている。
私個人としてはこれまで述べた様に中井家は元和度天守築造を主導していないので、かの家にあるのは慶長度天守の図面と考えています。よって、この案には最初から疑問符がつきます。更には『江戸御殿守絵図』(以下、『絵図』)を慶長度とするのは様々な問題があります。
- 『愚子見記』には慶長度の棟高22間半とあるが、『絵図』では23間4尺となっている。
- 『当代記』によると慶長度の石垣は20間四方で高さは10間とあるが、『絵図』は7間となっている。
- 『絵図』の最上階に東照宮がある(慶長度が建てられたときは当然、家康は存命中)。
これらの点から三浦氏の考えには問題が多々あると言わざるをえません。
ちなみに窓をの位置を欠陥とする意見については私には建築学の心得が乏しいので、正しい判断ができません。しかし其の様な初歩的ミスをするとは考えにくいと思います。