江戸城

慶長度江戸城天守を復元した人たち

今回からは慶長度江戸城天守の復元案について書いてみます。先ず、最初にこれまで復元案を発表した人たちを発表順に紹介することにします*1。 内藤昌 履歴:1932年生まれ。工学博士。東京工業大学大学院建築学専攻博士課程修了。名古屋工業大学・東京工業大…

慶長度江戸城天守の史料(その10)

そろそろ慶長度江戸城天守の史料も残り少なくなってきました。最後には別の天守の史料との評価が定まっていないもの、重複するものなどを挙げていきます。先ず評価が定まっていないものとして中井家蔵の『江戸御天守』図、京都大学蔵の無題図です。 左が『江…

慶長度江戸城天守の史料(その9)

さて昨日の続きですが、下にあげる画像は寛永17年(1640年)の江戸城本丸の図面です。 (『江戸図屏風 別冊 江戸の都市と建築』内藤昌 毎日新聞社 1972)この画像から昨日の『慶長江戸絵図』内の天守曲輪にあたる場所を、石垣の張り出しラインから抜き出した…

慶長度江戸城天守の史料(その8)

文字史料は大体終わったので、図面などを紹介します。 慶長年間の江戸を描いたものとして慶長13年(1608年)頃のとされる『慶長江戸絵図』があります。 慶長江戸絵図(東京都立中央図書館特別文庫室)これの本城(本丸周辺や西丸)を拡大したのが次の画像で…

慶長度江戸城天守の史料(その7)

昨日に続いて『愚子見記』の内容を書きます。もっともそれ程、優位な情報があるわけではないですが、関連する部分を丸ごと書いてみます。愚子見記 一、 御殿守当御代中井大和守指図覚 権現様御代 一、伏見御殿守 慶長六立、寛文十一迄七十一。 二、二条御殿…

慶長度江戸城天守の史料(その6)

さて天守の作事を務めた中井正清、その中井家配下の大工である平政隆という人物が法隆寺に遺した『愚子見記』という書物があります。この書物には様々な建築の内容が記述されており、その中には中井家が手がけた天守も多く取り上げています。それなりに分量…

慶長度江戸城天守の史料(その5)

城郭は2種類の工程を経て完成します。 1つは石垣や土塁の築造や曲輪の形状や配置を決める「普請」、もう1つはその上に櫓・塀・門そして御殿などを建設する「作事」です。 慶長度江戸城天守も同様の過程を経て、建築されました。天守台という「普請」は既に説…

慶長度江戸城天守の史料(その4)

ここからは新規で行きますさて、『慶長見聞集』では慶長度江戸城天守が五重であったとありましたが、他の史料にも天守の重数について説明しているものがありますので、ここで説明をします。(参考:慶長度江戸城天守の史料(その2) - 立板の書き込み)毛利三…

慶長度江戸城天守の史料(その3) (転載分)

徳川家康の史料集『朝野旧聞裒藁』に記載されている、慶長度の江戸城修築記録『御手伝覚書』より 朝野旧聞裒藁 御手伝覚書 御手伝覚書載 慶長十一年御城御普請之前御天守台築御手伝 黒田筑前守 御手伝覚書曰 慶長十二未年江戸御城御天守台并錫御門之縄張被二…

慶長度江戸城天守の史料(その2)

慶長見聞集 然レバ家康公興サセラルゝ江城ノ殿守ハ五重、鉛瓦ニテ葺キ給ウ。富士山ニ並ビ、雪ノ嶺ニ聳エ、夏モ雪カト見エテ面白シ。 殿守ハ雲井ニソビエオビタゞシク、ナマリカワラヲフキ給ヘバ、雪山ノ如シ……海上ヨリ、此レヲ目カケ一舟ヲ乗…… 日本中ヨリ大…

慶長度江戸城天守の史料(その1)

慶長度江戸城天守を知るには先ずそれについて知ることが大切です。 最初はそれについての史料を順次、書くことにします。 当代記 慶長十二年三月三日 此日ヨリ江戸普請有、関東衆務之、先一万石役ニ、クリ石二十坪也、船ヲ以可有運送トテ、一万石分五艘宛カ…

江戸城について(転載分)

最初に今、あれこれと調べている江戸城天守、その概要を説明いたします 江戸城は皆さんも御存知の通り、今の東京中心部、皇居に当たる場所にあった城郭でした。 鎌倉時代の江戸氏居館から始まると言われますが、本格的に城を築いたのは関東で室町から戦国に…

移動しました

http://blogs.yahoo.co.jp/hideitoh2002 こちらがどうにも検索に乗らないので、こちらに乗り換えしましたので、以後宜しくお願いします。 取り敢えず戦国時代や軍事を趣味にしていますので、そこら辺を徒然と書いてみようかなと思います。